「戦乱以後、友人や親族の中に敵の刃に掛かって死んだ人や病死した人がとても多い。……平和だった頃によく若者と大人が一カ所に集まって仲良く遊び、酒に酔って騒いだりしたものだが、もはや二度とあのような日々は訪れまい。そう思うたびに、どれほど悲しく、切なくなることか。」『瑣尾錄』1593年11月15日
ここに420年余り前の朝鮮時代の一人の家長の日記があります。壬辰倭乱により家族が散り散りになってから再会するまでの9年3ヶ月の間、各地をさすらいながら記した日記が『瑣尾錄』として今日まで伝えられています。
戦争のため、生活の拠点としていた漢陽(ソウルの古称)に戻ることができず、困窮した生活を生き延びてきた呉希文の日常は、新型コロナウイルスのために苦しい日々を過ごす私たちの毎日に似ています。いつ襲ってくるかわからない倭賊の刃、飢えと寒さと病の中を呉希文の家族は一日、また一日と生きていきいました。
壬辰倭乱の時期の「絶望の中をさすらう両班の記録」へと入ってみましょう。